はじめに
このページでは、僕がこれまでどのように歩んできたのか、そしてこれからどう歩んでいきたいのかを少しご紹介します。
整体はマンツーマンで向き合うからこそ、人柄や歩みを知っていただくことが大切だと思っています。
お時間のあるときに、読んでいただけたら嬉しいです。
第 1 章『はじまりの風景』
―― お茶畑の香りと、夕焼けのグラウンドで
埼玉県狭山市。広がるお茶畑と漂う焙煎の香り。
その街で育った僕にとって、夕暮れまで夢中で走り回った少年時代の記憶は、いまも鮮やかです。
幼い頃から身体を動かすことが大好きで、サッカーや水泳にも親しみましたが、特に夢中になったのは野球でした。
小学4年生から高校を卒業するまで、9年間を野球一筋で過ごしました。
父の熱心な指導に涙を流す日もあり「やめたい」と思うこともありました。
それでも母の励ましや仲間の支えがあり、続けることができたのだと思います。
練習後に皆で笑い合った瞬間や、汗だくでグラウンドに立ち続けた日々は、今でも僕の中にしっかりと刻まれています。
その時間があったからこそ、人と真っ直ぐ向き合うことの大切さを知りました。




第 2 章『青春という修行』
―― 岩手の地で学んだ、仲間と忍耐の3年間
高校進学と同時に、僕は親元を離れて岩手県一関市で寮生活を送りました。
年齢も出身地も異なる仲間たちと共に暮らし、甲子園を目指した3年間でした。
寮は決して快適な環境ではなく、古い建物で生活は厳しいものでした。
練習も想像を超えるほど過酷で、朝から晩までグラウンドに立ち、泥だらけでバットを振り続ける日々。
冬の寒さは皮膚が痛くなるほどで、何度も心が折れそうになりました。
腰や膝の怪我にも悩まされ、戦線を離脱してはリハビリを重ね、またグラウンドに戻る。
そんな繰り返しの中で、同期が次々にやめていく姿を何度も見ました。
それでも、残った仲間たちと励まし合いながら過ごした時間は、今でも鮮明に思い出せます。
寂しさや不安を感じる夜も、互いに声をかけ合い、笑い合いながら眠りについたあの日々。
仲間と共に耐え抜いたその時間が、今も心の支えになっています。




第 3 章『資格への道』
―― 不合格から立ち上がったあの春
高校を卒業した僕は、渋谷にある柔道整復師の専門学校に進学しました。
同時に地元・狭山市の接骨院に入職し、学校と仕事の両立が始まりました。
授業が終わればすぐに職場へ向かい、夜まで患者さんの対応や片付けを手伝う。
慣れない環境の中で、必死に技術を覚えようと過ごした日々でした。
国家資格の試験が近づくにつれて、プレッシャーと不安が大きくなっていきました。
迎えた初めての試験、本気で挑んだ結果は「不合格」
その瞬間、頭が真っ白になり、悔しさと情けなさが一気に押し寄せました。
それでも諦めるわけにはいかず、翌年もう一度挑戦することを決めました。
職場の同僚、学校の先生、家族の支えがあって、再び机に向かう毎日。
そして二度目の試験でようやく合格通知を手にしたときの安堵と喜びは、今でも鮮明に覚えています。
悔しさを糧に掴んだ合格は、努力の尊さを静かに教えてくれました。




第 4 章『迷いの中で見つけた想い』
―― 一度立ち止まり、自分の道を見つめ直す時間
資格を取得したあと、僕は地元の接骨院で働きながら現場経験を積みました。
患者さんと日々向き合い、技術を磨く充実感がありましたが、次第に「もっと深く身体を学びたい」という思いが強くなっていきました。
その気持ちに背中を押され、7年勤めた接骨院を退職。
新たな挑戦として、池袋でアメリカの手技療法「オステオパシー」を学び始めました。
初めての一人暮らし。生活費を稼ぐために、早朝から深夜まで4つのアルバイトを掛け持ちする日々が続きました。
寝る時間を削って働きながら授業に通いましたが、やがて体調を崩し、1年ほどで実家に戻ることになりました。
「……何をやっているんだろう?」
そう自分に問いかけても答えは見つからず、焦りと不安だけが膨らんでいきました。
その後、縁があり東村山市のリハビリ特化型デイサービスに入職しました。
多職種のスタッフと共に働き、利用者さんの生活を支える経験は新鮮で、5年間そこに身を置きました。
けれど心のどこかに、18歳の頃に思い描いた「いつか自分の店を持ちたい!」という夢が残っていました。
その想いは、再び静かに動き出していました。
迷いと停滞の時間が、もう一度夢を見つめ直すきっかけになりました。




第 5 章『小さな一歩から』
―― 夢を思い出し、踏み出した決意
再び動き出した「自分の店を持ちたい」という想い。
それは迷いや不安を抱えたままでも、静かに背中を押してくれる力になっていきました。
休日や仕事終わりには、ノートに考えをまとめたり、街を歩きながら物件を眺めたり。
小さな行動を重ねるうちに、気持ちは次第に“挑戦するしかない”という確信へと変わっていきました。
頭の中に浮かんだ理想のサロンを、少しずつ形にしていく。
整体を通して「安心を届けたい」「誰かの希望を取り戻したい」──
そんな想いを軸に、店名やコンセプトを考え始めました。
家族に相談しながら、資金の計画や開業の準備を進め、
不安と期待が入り混じる日々の中で、少しずつ現実が動き始めていきました。
やがて、すべての想いを込めた “LAF” という名前が決まり、
僕は、いよいよ開業への最後の一歩を踏み出すことになります。
小さな行動の積み重ねが、夢を現実へと近づけていきました。




第 6 章『LAF、始動』
―― 前だけを見つめて歩き始めた日々
2021年、整体サロン「LAF」を開業しました。
8,000枚のチラシを、自分の手でポスティング。
SNS やネット広告にも挑戦しましたが、なかなか成果にはつながらず、来院がない日が続きました。
店の扉を開けても静まり返ったままの空間に立ち尽くすこともありました。
帰り道、街灯の下で「何が足りないんだろう」と考えていると、自然と涙が込み上げてきたことを覚えています。
それでも、家族に心配をかけたくなくて、
家に着く前に涙を拭き、玄関の扉を開けて「ただいま」と笑顔で言う。
そんな日々がしばらく続きました。
それでも立ち止まることはありませんでした。
少しでも誰かの力になれるようにと、自分にできることをひとつずつ積み重ねていく。
目の前のクライアント様に全力で向き合い、手のぬくもりを信じて整体を続けました。
丁寧に積み重ねた一日一日が、LAF の歩みを静かに前へ進めていきました。




第 7 章『これからも、目の前の一人に』
―― 積み重ねてきた時間の先に
静かに始まった LAF の時間は、気づけばもう5年目を迎えようとしています。
大きな変化があったわけではありませんが、少しずつ、確実に歩みを重ねてきました。
初めて来てくださった方のこと、
不安そうに扉を開けてくださった方の表情、
帰り際に見せてくれた笑顔。
そのひとつひとつが、僕の中に積み重なっていきました。
ひとりのクライアント様に向き合い、その声を聞き、その身体に手を添える。
その繰り返しが、LAF という場所をここまで育ててくれたのだと思います。
大きな成功を語れるわけではありません。
けれど、来てくださる方の「ありがとう」や「楽になりました」という言葉が、
僕にとって何よりの支えであり、明日への力になっています。
これからも一人ひとりに誠実に向き合い、その手で安心を届けていけたらと思います。




整体サロン LAF
奥井じゅんき
